「考える人」2009年秋号を読んだ。書店で特集「活字から、ウェブへの・・・。」というのを見かけてとても気になっていた。

考える人 2009年秋号

考える人 2009年秋号



共感したのは糸井重里の言葉。

ネットのエロな世界の演出や表現技術の発達スピードと工夫を賞賛しつつ、「ネットユーザーの欲望は●●だよね。」と言う人々について「自分の欲望のありかさえはっきりわからないで、他人のことなんてもう絶対にわからない。」と言っている。

もう一つは養老孟司の言葉。

ウェブは書いたことへの反応がダイレクトなので、ネット上の文章は反論を予測して書かれている。だから、あれこれのケースを考えながら書くようになって、すっきりした文章にならない。書かれる文章hは用意周到な文章になり、文章にオリジナリティがなくつまらない。言論というものは、人の意見を都度聞きながら書くものではなくて、「独白」だよ。独り言で良い。

「結局ウェブのなかにあるものというのは、古典だろうが昨日の出来事だろうがすべては過去なんです。パソコンをつかって向き合っているのは過去でしかない。」

「ソクラテスは、書き言葉が死んだ言葉だということをわかっていた。言葉はいったん書かれてしまったら、動きようのないものになる。書き言葉自体が過去なんです。ソクラテスの弟子のプラトンは、対話という形式にこだわった。論語も孔子の言葉を残そうとしたが、対話形式「ダイアローグ」だった。しかしいつの間にかモノローグが台頭し、対話性が消えていった。」

キーワードは、インタビュー、対話、今思っていること。

アンディーウォーホールも雑誌は「インタビュー」だった。
プラトンも「ダイアローグ」だった。

対話も文章になれば「過去の記録」だけど、参加者がその時に思っていることを文章として残すために対話形式は効果的だ。LCRTLKでも今思っていることを書いていきたい。